(前回のあらすじ)
星ヶ岡茶寮という店でエスプレッソを楽しむ主人公Uはそこの風変わりな店主の秘密を打ち明けられる。なんとこの店の器は他の星の土で出来たものだと いう。さらに自分は他の星からやって来たのだとも。「まさか火星人?!」と驚くUに店主はにやりと笑って「いいや。魯山人さ」と答える。魯山という星があ るのだろうか?本当にこの店主はそこからやって来たのか?一体、何の為に・・・!?その秘密がついに明かされる時が来た!!!
(あらすじ・完)

・・・・・・・というのは全部ただのつくりばなしです。妄想です。全部。

ともあれ、なんか色々妄想したくなるような素敵な名前ですよね、星ヶ岡茶寮。
ご存知、北大路魯山人の居た料亭です。

私がこの仕事に就いたばかりの頃、大学の同級生が共通の知人に「陶子って今、なんか凄い高い壷売ってるんだって?」とおそるおそる訊いてきた(私本 人には訊けないほどの恐れっぷり)そうで、「あー、売ってるねぇ、高い壷」と彼女は誤解を受けそうな返事をしてにやついていたらしい。完全なる悪ノリで す。完璧に誤解されるわ。しかしこういった誤解はままあることで、「今、何やってるの?」「ギャラリーでやきもの売ってるよ」「え。壷とか?」「いや、壷 もあるけど壷だけじゃないし、って、水とか宝石とかじゃないよ?っていうか壷ったってそういうんじゃないんだよ?備前の花器とか萩の茶碗とか」などと説明 したところでかえって怪しいばかりということがありました。実際に陶芸の大家の名前を出しても興味のない人は知らないからますます怪しい感じになっていく わけで・・・マイッタナーと思ったものですが、なには知らずともこの人の名前を出せば問答無用で安心してもらえるのが北大路魯山人大先生でした。某お茶の CM、ありがとう!

さて、星ヶ岡茶寮。

もともとは市民の憩いの場だった麹町公園、風光明媚な場所であるとの理由で上流階級の社交場として体裁を整えられたのだといいます。当時としては大金で あった工事費1万円をかけて建設、ということですが現在の金額に直すとだいたい1円が1万円くらいの価値だったといいます。そのデータを元に考えると1億 円。豪華ですね!関東大震災でも損傷ひとつなかったとか。そんな場所で華族や政官財の要人たちが集まり、茶会を開いたり、古式の食事を供するなどめくるめ く上流階級ライフが繰り広げられていたそうです。

その後、当時美食家として知られていた魯山人に貸し出され、1925年に彼が主宰する美食倶楽部の会員制料亭としてスタート。

魯山人の一生はあまりにもドラマチックで、そのノンフィクション本なんてのは本当に興味深いのですけれど、星ヶ丘茶寮についての資料文献も負けず劣らず面白い。美味しい湯豆腐の作り方を魯山人がレクチャーしていたりします。

そう。とびぬけて高級ではあるけれど、器も料理ももとを正せば生活に身近なものたちなのです。

「You are what you eat.(あなたはあなたの食べたものでできている。)」という言葉がありますよね。

人間としての美を追い求めた結果、食も器も究極のものが求められたのでしょう。

たとえば仲居さんには書や絵の掛け軸、器についてのレクチャーもしていたというこだわりぶり。星岡茶寮は料理はもちろん、器、室内装飾、サービスと、すべてにおいてこだわりのおもてなしを提供していたのです。

しかし料理長の魯山人は、お客も選ぶ。前回の物語はなんにも考えずイメージだけで作った創作でしたが、斜体になっている部分の台詞は実際に魯山人の残した 言葉として知られています。そんなにこだわる彼だから、やっぱりお客様にも怒っていたのだと思うのです。『真剣に食え』、『客が良くないと、いい食事会は 完成しない』などと言っていたのではないでしょうか。

そんな茶寮も魯山人は、1936年に経営者によって解雇、追放されることに。1945年には空襲で消失してしまいました。

ですが、魯山人の器たちはまだまだこの世界に残っています。彼の求めた美の体現として。彼の想いは器として、残り続けます。その力強さたるや。私は彼の器を見るとその真剣な気配りにとても嬉しくなってしまうのです。

 

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