- 画像は「川喜田半泥子のすべて」展から引用
陶歴
- 1878年
- 11月6日三重県津市。15代続く伊勢の豪商の家に生まれる。
- 1903年
- 百五銀行の取締役に就任。
- 1909年
- 津市議会議員を務める。
- 1910年
- 三重県議会議員を務める。
- 1919年
- 百五銀行の頭取となり、1945年2月まで頭取を務める。
- 1930年
- 財団法人石水会館を設立。
- 1942年
- 美濃の荒川豊蔵、備前の金重陶陽、萩の三輪休和と作陶連盟「からひね会」を結成。
- 1963年
- 10月26日死去(満84歳)
「東の魯山人、西の半泥子」「昭和の光悦」と称される。本名は久太夫政令(きゅうだゆうまさのり)、幼名は善太郎、号は半泥子。その他に「無茶法師」「其飯(そのまま)」等がある。
「半泥子」は禅の導師から授けられたもの。「半ば泥(なず)みて、半ば泥(なず)まず」何にでも没頭し、泥んこになりながら、それでも冷静に己を見つめることができなければならない、という意味。
裕福な家庭で育ったが、祖父や父は半泥子の生後まもなく他界し、1歳で川喜田家16代当主となった。母は実家に帰され、祖母の手によって育てられた。三重県尋常中学(現・三重県立津高等学校)卒。陶芸は趣味で、当初は陶工に作らせていたものの納得が行かず、50歳を過ぎてから自ら作陶するようになった。主に抹茶茶碗を製作した。作風は自由奔放でおおらかと評される。陶芸のほかに、書や画もよくしたが、あくまでも趣味としての立場を貫き、生涯に一作品も売ることはなく、出来上がった作品は友人知人に分け与えた。
死後、石水会館は半泥子が生涯をすごした津市に石水博物館を設立し、川喜田家に所蔵されていた半泥子の作品を公開している。